fc2ブログ

自己肯定感

1日の終わりに
「今日も無事過ごすことが出来た。ありがとう。」と
自分自身に語りかけることをもう何年もしてきました。
チビ太君のことがあって、2,3ヶ月出来ていませんでした。
また再開します。
プラスして朝起きた時、
「今日の私は今までで最高。今日の私が一番素敵。」と
自分に言い聞かせることを始めました。
自己肯定感を上げていくために、自信をつけるために
続けていこうと思います。
体から自然に力強さがにじみ出るような
人間になっていこうと思います。
スポンサーサイト



謝るべき時

「謝るべき時と、謝ってはいけない時」
旦那がそう言っていた。
私の今までの人生は謝ってばかりの人生だった。
明らかに私が原因ではない事でも、私が悪者にされ、
私が頭を下げる結果になった。
私には「その役割」しか与えられなかった。
それのみが私の存在意義だと無理強いされてきた。
今、長女の結婚問題で、話がこじれつつある。
「私は何も悪くない。謝るべきは相手側だ。」
そう強く思っている。今度こそ絶対に頭は下げない。
そんな時、カウンセラーの先生や旦那には、
「この問題は、あなた側から先に謝罪した方がいい。」
と言われた。  何故?と旦那に問うと。
最初の言葉を言われた。
旦那は、「この問題に限らず、謝るべき時と、
謝ってはいけない時があるんだ。」と言う。
それは物事の本質を冷静に、的確に捉えられることが出来れば、
誰にでもできることだと言っていた。
私には納得がいかない。
自分が悪いわけでもないのに、また頭をさげることなど、
もう絶対にしたくない。
やっと、そう思える自分になれたばかりなのに。
そんなジレンマが、長女やその彼氏に対する怒りや、
口惜しさとなって、さらに激しく私を責めつける。
きっと旦那が正しいのだと思う。
私にもきっと自然にそう考えられる時が来るのだと思う。
でも今はまだ、そんな気になれない。
ただ口惜しさが、募るばかりだ。

人の価値

新聞のコラムで、女子高生の投稿が気になった。
「人は生まれながらに、価値の書かれた
 値札をぶら下げているように感じます。」
「その値札を外してくれるのが、人の考え方
 なのではないか。」
この記事は「人はありのままで価値がある。」
と言う考え方は今の社会では、受け入れられないのは
仕方がないと言う疑問から発生したものでした。
私も長い間「人の価値」について考えていました。
自分が無価値の人間だから虐待や、いじめを受けるのだ
と言うトラウマがもとになっています。
そしてやっと気づきました。
「人として生まれ、生きていること自体に価値がある。」
人はみな違います。
能力も才能も容姿も一人一人違っています。
だから成功する人、犯罪を犯す人、何事もなく平穏に生きる人
様々な人生があるのです。
でも人の価値はそんなもので決まるのではないとわかりました。
人として生を受けた奇跡に感謝し、自分に正直に精一杯生きること。
それがその人の価値を決めるのだと思います。
誰かと比べるのではなく、自分自身と向き合うことが
大切なんだと思います。
私の人生も折り返し地点を過ぎていますが、
大半が辛く苦しい道のりでした。でも、
自分をごまかしたり、自分に嘘をついたりしたことはありません。
そんな私のことを旦那は「最高に素敵だ」と言ってくれます。
私は自分の生き様を誇りたいと思います。

やっと変えられそうです

私は基本、他人からの要望を断ることが出来ない人間だった。

自分の事を棚に上げてでも、他人の要求を優先させるように

躾けられて育った。(実際は虐待による洗脳だったけど)

他人の要望を断ることは、罰を受けることにつながっていたし、

自分の存在価値がなくなることだと信じていた。

長い治療や学習の結果、それが間違いだと気付き、

自分で決断し、選択できるのだと理解した。

だが実践してみると、これがなかなか難しく思うように自分らしくいかない。

「NO」と言うストレスと、自己否定感が私を苦しめ続けた。

でもやっと変えられそうです。

他人のために自分を犠牲にすることに対して、ストレスを感じられるように

なったからです。「何で私だけが我慢しなくちゃいけないんだ」と

考えられるようになったからです。

「NO」と言うことにまだ慣れていないから、しばらくはモヤモヤした日々が

続くかもしれませんが、出口は見えてきた気がします。

長い長い時間がかかりました。

また少し前進できそうです。

自分のためだけに

以前から旦那に「自分のためだけに時間を使って。」と言われていた。

今までは「それってわがままで、自分勝手で、無責任なことだよな。」

と思っていた。

昨日庭の草を少し取ろうと思い外に出た。

「よし、1時間だけがんばるぞ。」と自分に気合をかけ、黙々と作業した。

草をとりながら「さっき何で時間を決めたんだろう。」と疑問に思い考えた。

「後でピアノを1時間練習しようと思ったからだ。」と思い至った。

そしたら旦那が言ってたことが少しわかった気がした。

自分のためだけに時間を使ってと言うのは、自分の責任で自分の思う通りに

日々の生活を大切に送りなさいという意味なのかなって感じた。

決して「自分勝手にしたいことだけしていいよ。」と言うことではないんだ。

仕事をしていない私は、どうしても家事優先で家族の用事を優先しようとする。

自分が生きて、生活しているのも誰かの許しを得なければいけないと思ってしまう。

負い目があるせいだ。

自分の楽しみや、やりたいことはどうしても後回しにしてしまう。

そうではなくて、家事も自分の楽しみも自分で決めて自分で行動する。

そうすることで毎日が生き生きとしてくる。

何かに追い立てられるのではなく、自分が主体で時間を使う。

たぶんきっとそういう事なんだと思った。

こんな自己肯定感が上がるような気付きをもっともっとしたい。

こんなパワーがDV元旦那と闘うときに力になってくれると思う。


プロフィール

かすみ

Author:かすみ
ヤフブロから引っ越してきました。

最新記事
最新コメント
カテゴリ
検索フォーム
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる